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山口地方裁判所 昭和40年(行ク)4号 決定 1965年11月09日

申請人 多治比丈夫 外四名

被申請人 山口県教育委員会

主文

被申請人が昭和四〇年三月三一日申請人五十川偉臣に対しなした懲戒免職処分は本案判決があるまでその効力を停止する。

申請人多治比丈夫、同久保輝雄、同国光日出生、同原田昭夫の本件申立はいずれもこれを却下する。

申請費用中申請人五十川偉臣と被申請人との間で生じたものは被申請人の負担とし、申請人多治比丈夫、同久保輝雄、同国光日出生、同原田昭夫と被申請人の間で生じたものは申請人多治比丈夫、同久保輝雄、同国光日出生、同原田昭夫の負担とする。

理由

(当事者の主張)

一  申請人等の申立

「被申請人が申請人多治比丈夫、同久保輝雄、同五十川偉臣に対し昭和四〇年三月三一日なした各懲戒免職処分および申請人原田昭夫、同国光日出生に対し同日なした各停職処分は本案判決が確立するまでいずれも、その効力を停止する」との決定

二  被申請人の申立

「申請人等の申立はいずれもこれを却下する。」との決定

三  申請人等の申請理由の要旨

(一)  申請人多治比、同久保、同国光、同原田はいずれも宇部市立厚南中学校の教諭であつたものであり、同五十川は山口県大島郡橘町立安下庄中学校教諭であつたものである。

(二)  被申請人は昭和四〇年三月三一日申請人等を左記の各理由により地方公務員法第二九条第一項第一、二号に該るものとしてそれぞれ次のような懲戒処分(以下本件懲戒処分と称する)に付した。

(1) 申請人多治比につき

「昭和三九年六月二三、二四日にわたり実施された同年度全国中学校学力調査に当り担任する学級の在籍生徒中正常に受験したものが全くなかつたが、これは同人の、かねての上記学力調査反対の言動が生徒に強く影響したものと解せられ、しかも同人は右受験拒否に対し適切な措置を講ずることを怠り、公教育に対する不信と不安の念をかりたてた結果に至つたのはその職務上の義務を著しく怠つたものというべきである」との趣旨の理由により免職処分

(2) 申請人原田につき

申請人多治比と同旨の理由により停職四月の処分

(3) 申請人国光につき

「右学力調査にあたり担任する学級の生徒中正常に受験したものが極めて少なかつた」との外は申請人多治比と同旨の理由により停職六月の処分

(4) 申請人久保につき

「昭和三八年度その担任する三年六組の生徒指導要録を生徒卒業後すみやかに提出しなければならないにもかかわらずこれを放棄し再三にわたる督促の結果昭和四〇年三月三一日に至りようやく提出した。しかしながらその記載内容は極めて杜撰である。また昭和三九年七月七日午後、昭和四〇年一月一四日、同月一六日及び同年二月三日上司の再三の注意を無視してみだりに職場を放棄した」との理由により免職処分

(5) 申請人五十川につき

「かねて昭和三九年度全国中学校学力調査の実施に反対しており同年六月中旬ごろから同調査実施直前までの間再三にわたり安下庄中学校二年五組および二年一組の生徒に対し授業の際同調査に関するテストを受験しないようにしむけた」との趣旨の理由により免職処分

(三)  (申請人多治比、同原田、同国光に対する処分事由の不存在)

昭和三九年度の全国学力調査は同年六月二三、二四日の両日にわたつて実施されたが宇部市立厚南中学校校長山本章一は同月二〇日同校教職員に対しテスト担当者を命ずる旨の職務命令を発し、申請人多治比は同校三年七組、同国光は三年九組、同原田は三年六組の各担当学級のテスト補助員を命ぜられた。

そこで同申請人らの所属する山口県教職員組合(以下山口県教組という)同中学校分会は日本教職員組合(以下日教組という)の指令の線に沿つて同校長に対し前記職務命令を撤回するよう交渉したが、同校長がこれに応じないので、同月二三日早朝職務命令どおり学力調査を実施することを確認した。同月二三日は午前九時から三時限の学力調査が行われることになつていたので申請人多治比は担当する三年七組の教室に赴いたところ生徒のうち一九名が運動場に出て不在であつたので、運動場に赴き約五〇名の生徒に対し教室に帰つて学力調査を受けるよう説得し、その後同校長の了解をえて学力調査の実施に当り、二時限目以後は同校長の指示により受験拒否生徒の説得に当つた。申請人原田は同日一時限担当の三年六組の教室に赴き、その後同校長の指示により受験拒否生徒の説得に当つた。申請人国光も担当の三年九組の教室に赴いたが同学級生徒の大部分が運動場に出たので、同校長に対し右生徒の説得に当らせて欲しい旨申出たが、あくまで残留生徒の学力調査実施に当るよう指示されたのでこれに従つた。翌二四日学力調査実施前同校長は校内放送で受験拒否の生徒に対しどうしても受けたくない者は体育館に集合するよう呼びかけたところ、約二〇〇名の生徒が同校体育館に集まつたので申請人多治比、同原田は同校長や他の同校教諭とともに説得に当り、申請人国光は同校長の指示により担当学級の学力調査実施に当つた。

以上のように申請人多治比、同原田、同国光は右学力調査の際同校長の指示に従い受験拒否生徒に対する説得ないしは学力調査実施に当つており、職務懈怠その他の違法行為をしたことはなく、同校生徒に対し右学力調査の受験拒否をそそのかしたこともない。生徒の受験拒否は自発的に行われたもので、学力調査の前日から生徒会役員より、職員会議に対し、生徒総会開催についての申入れがなされるなどの批判的動きがあつた程であつて右申請人等の担当学級以外の同校三年全学級に拒否生徒が出ている。従つて右申請人等に対する本件懲戒処分は処分事由を欠き違法である。

(四)  (申請人五十川に対する処分事由の不存在)

申請人五十川は昭和三九年度の学力調査実施について同年六月一〇日の安下庄中学校職員会議において同校々長に対し学力調査に関する教育上の疑問を表明してそれについての説明を求め、また同月中旬ごろ同校生徒の質問に答えて学力調査についての文部省の説明とそれに対する批判的意見とを客観的に短時間伝えたことがあるに過ぎず同校々長から右学力調査担当者に命ぜられておらないしまた同校生徒に対し右学力調査を受験しないよう申向けたこともない。同校生徒の学力調査についての質問は他の同校教諭に対してもなされており、右学力調査の受験拒否は二年一組、五組以外の他の学級においても生じている。

以上の事実からみて申請人五十川に対する本件懲戒処分は処分事由を欠き違法である。

(五)  (申請人久保に対する処分事由の不存在)

申請人久保について前記処分事由記載の生徒指導要録提出の遅延があり、またその内容についても一部高等学校に提出した抄本と一致しないところがあることは認めるが、右要録の提出は他により緊急な用務があるため遅延した例が少なくない。また同申請人が前記処分事由記載の日時に職場を離れたことはあるが、昭和三九年七月七日午後は沖縄大行進に従来の慣行に従い同校教頭に届出て参加し、昭和四〇年一月一四日および一六日は日本教職員組合の全国教育研究集会に特別休暇を得て出席し、同年二月三日は原子力潜水艦寄港反対集会に年次有給休暇をえて出席したのでなんら違法ではない。従つて申請人久保に対する本件懲戒処分は処分事由を欠き違法である。

(六)  (本件懲戒処分の裁量権濫用について)

仮りに前記処分事由記載のような事実があつたとしても申請人等には少くとも免職ないし停職処分に付しなければならないほどの重大な職務懈怠があつたとはいえず生徒が学力調査に強い関心をもち、受験拒否の行動に出たことは、その家庭及び地域環境に因るところも多くこれをすべて申請人等の指導上の責任に帰し当該学校長の意見および市町村教育委員会の上申を上廻る処分をしたことは、かねて申請人等の教育方針に不満を懐いていた一部父兄の意向に迎合した結果であり、裁量権を濫用したもので違法である。

(七)  (執行停止の必要性について)

申請人等は次のとおり本件懲戒処分により賃金収入を失つた結果著しい経済的困難に遭遇し、また大きな精神的打撃をうけ回復困難な損害を蒙りつつあるから、前記懲戒処分の執行停止を求める緊急の必要性がある。

(1) 申請人多治比は在職中一ケ月三万八、〇〇〇円の収入があり、それと妻の一ケ月約三万二、〇〇〇円の収入とで妻子四人が生活してきたものであり、本件懲戒処分により収入が半分以下に減少し、知人からの借入金でようやく生活してきたが今後はその見込もない。

(2) 申請人原田は在職中一ケ月二万八、〇〇〇円の収入で妻子を扶養していたもので、本件懲戒処分の結果収入が皆無となり生活が困難である。

(3) 申請人国光は在職中一ケ月三万二、〇〇〇円の収入があり、妻の一ケ月一万八、〇〇〇円の収入とあわせて老母、子供を扶養してきたが本件懲戒処分により妻の収入のみとなり生活が困難である。

(4) 申請人五十川は在職中一ケ月三万八、〇〇〇円の収入があり妻の一ケ月手取り二万九、〇〇〇円の収入、農業収入一ケ月約六、〇〇〇円と合わせて母、子供二人を扶養していたが本件懲戒処分の結果生活に困窮し借入金によつてようやく生活を維持してきたものの今後は借入金のあてもなく、また本件懲戒処分による精神的打撃等のため腎炎になり入院加療中である。

(5) 申請人久保は在職中一ケ月二万六、三〇〇円の収入を得ていたが本件懲戒処分の結果無収入となり病妻をかかえて生活が困難である。

(八)  被申請人の主張はいずれも争う。

四  被申請人の主張の要旨

(一)  行政事件訴訟法は処分の執行停止の申立の前提として適法な処分取消の訴の係属を必要としている。しかるに申請人等が本件執行停止申立の本案訴訟である当庁昭和四〇年(行ウ)第七号懲戒処分取消請求事件を提起したのは、申請人等が山口県人事委員会に対し本件懲戒処分の不利益処分審査請求をした昭和四〇年四月一二日から三ケ月以内であるから、右本案訴訟は不適法な訴であり、従つて本件執行停止申立も不適法として却下を免れない。

(二)  申請人の申請の理由中(一)(二)項は認めるがその余は争う。

(三)  (申請人多治比、同国光、同原田の違法行為について)

(1) 申請人多治比、同国光、同原田はかねて学力調査に反対していたが、昭和三九年度の同調査実施に先立ち授業時間中生徒に対し学力調査を拒否するように申向け、さらに同年六月二〇日、二二日の両日に亘り前記厚南中学校々長山本章一に対し学力調査の中止を迫まりそのため右両日とも正常な授業を行うことができず全校自習を余儀なくされた。また同月二二日の同校生徒朝礼において右校長が同月二三、二四日の両日学力調査を実施する旨生徒に告げた際、申請人原田は「職員会議でまだきまつていないのでやらんぞ」と大声で叫んだ。また申請人原田、同国光は右学力調査の職務命令書を教室の黒板にはりつけ、同多治比は生徒の前で右職務命令書を読みあげた。

(2) 申請人多治比、同原田、同国光は同月二三日朝同校長に対し右学力調査の中止を執拗に迫り、申請人原田は右学力調査の職務命令書を同校長にたゝきつけ、そのため調査開始が二〇分遅延した。しかして右申請人等は右調査開始後もその各担当する学級の受験拒否生徒に対し適切な説得指導を行わず、申請人多治比は担任する三年七組の男生徒約二〇名が運動場に出たところ、教室に残つている女生徒に対し「お前たちは男子に応援しないのか」と呼びかけ、申請人原田、同国光は同校生徒に対し「学力テストを受けるかどうかは生徒が自分で判断すべきことである。」と申し向けた。右申請人等は翌二四日も前日同様学力調査開始時間を遅らせた。

(3) 右申請人等の行為の結果申請人多治比の担任の三年七組、同原田の担任の三年六組では右学力調査を正常に受験したものはなく、申請人国光の担任の三年九組でも正常に受験したものは極めて少なかつた。

(4) 右学力テスト終了後も右申請人等は同校生徒に対し右受験拒否についても適切な教育的措置をおこなわず、申請人多治比は外部の女子中学生から来た学力調査反対闘争を賞讃する手紙を自己の担任する学級の生徒に読み聞かせ、申請人国光は右学力調査直後山口県教職員組合宇部支部代議員会で「今度の厚南中学校の学力テスト反対闘争は成功した。」旨の発言をした。

(四)  (申請人五十川の違法行為について)

申請人五十川はかねて学力調査に反対していたが昭和三九年度の同調査実施に先立ち、同年六月中旬ごろから実施直前まで安下庄中学校の生徒に対し授業中再三学力調査を拒否する様申し向け、そのため前記学力調査の際同校生徒中に多数の受験拒否者を出しさらに「学力調査の受験を拒否したことはいけないことだ。」と生徒に指導するように同校々長より注意されたにもかかわらず、これを拒みつづけた。

(五)  (申請人久保の違法行為について)

(1) 申請人久保は宇部市立厚南中学校長から昭和三九年三月三〇日までに提出を命ぜられた生徒指導要録をその期限までに提出せず、同校長から再三督促をうけたにもかかわらずこれを放置し、昭和四〇年三月三日に至つてようやく提出したがその内容は生徒の進学先の山口県立高等学校に送付した前記指導要録の抄本と一九名の生徒中一二名までくいちがつており極めて杜撰である。

(2) 申請人久保は沖縄解放国民大行進参加のため年次有給休暇を右中学校々長職務代行者の同校教頭山本一男に申請したが許可されなかつたのに、昭和三九年七月七日午後ほしいまゝに学校を出て同日午後の勤務に服さなかつた。また同申請人は昭和四〇年一月一三日日本教職員組合主催の教育研究集会に出席のため同校長に対し特別休暇願を提出したが同校長は承認しなかつたのに右集会に出席のため同月一四日、及び一六日無断欠勤した。また同申請人は同年二月三日にも無断欠勤して同日佐世保市で行われた佐世保原子力潜水艦寄港阻止集会に参加した。

(六)  申請人久保の行為は職場離脱など明らかに地方公務員法に違反する悪質なものであり、その他の申請人等の以上の各行為は生徒を組合活動の具に供したもので極めて悪質であり、平素の行状も教育公務員として非難に値するものがあつたこと、他の教職員に対する影響、訓戒的効果、を考慮し本件懲戒処分に付したものでもとより裁量権の濫用はない。

(七)  (執行停止の必要性の不存在)

行政事件訴訟法第二五条によれば処分により回復困難な損害を避けるため緊急の必要性があるときは執行停止をすることができると定められているが、職務に従事する権利、いわゆる就労権は認められないし、給与請求権は単純な金銭賠償で十分補填しうる公法上の金銭債権であるから、同条にいわゆる回復困難な損害には該らない。

仮りに本件懲戒処分によつて申請人等に回復困難な損害が生ずるとしても、給与請求権についてのみであるから本件懲戒処分の効力の一部である給与不払の効力の停止を求めれば足りる。しかしながら、申請人多治比はその妻の収入(一ケ月三万八、六〇〇円)により、同五十川は妻の収入(一ケ月三万六、七五〇円)および農業収入により標準生計費、生活保護費を上廻る収入があり、申請人久保も妻の病気が回復すれば同女は看護婦の資格を有しているから相当の収入がえられるはずであるし申請人国光の妻も一ケ月一万九、〇〇〇円の収入があり、申請人国光、同原田はまもなく停職期間が満了すること、申請人多治比、同久保、同五十川は退職一時金を受領しうること、申請人等はいずれも他に就職し収入の途をはかることができ、また日教組、山口県教組から救援を受け得る立場にあること等を考慮すれば本件懲戒処分の執行停止を求める緊急の必要性はない。

(証拠関係)<省略>

(当裁判所の判断)

第一  被申請人は、本件執行停止の申立を不適法であるとしてその却下を求めている。たしかに、被申請人の主張するように申請人等が山口県人事委員会に対し本件懲戒処分の不利益処分審査請求をしたのは昭和四〇年四月一二日であるところ、本件執行停止の申立の前提たる懲戒処分取消請求訴訟(当庁昭和四〇年(行ウ)第七号事件)は右審査請求の日から三ケ月を経過しないうちに提起されたものであることは当裁判所に顕著な事実であり、従つて右訴訟はその提起当時においては行政事件訴訟法第八条に定める審査請求前置の要件を欠くものとして不適法であつたといわなければならないのであるが、現在すでに右審査請求の日から三ケ月を経過するもなお同委員会の裁決がなされていないことは本件訴訟の経過に照し明らかであるから、右懲戒処分取消請求訴訟は審査請求の日から三ケ月の後である同年七月一二日の経過とともにその瑕疵が治癒され、適法なものとなつたというべきである。すなわち、右の瑕疵を理由として本件執行停止の申立の却下を求める被申請人の主張は失当である。

第二  申請人多治比、同久保、同国光、同原田がいずれも宇部市立厚南中学校教諭であつたものであり、同五十川が山口県大島郡橘町立安下庄中学校教諭であつたこと、被申請人が昭和四〇年三月三一日申請人等をその主張の各理由によりそれぞれ本件懲戒処分に付したことは当事者間に争いがない。

第三  (本案についての理由の有無)

一  (申請人多治比、同国光、同原田関係)

(一) 疎甲第四二、四三号証、同第四五号証、同乙第九、一〇号証によると、昭和三九年度全国中学校学力調査にあたり宇部市立厚南中学校では多数の生徒が受験を拒否し、三学年一一学級生徒五〇二名中白紙、無記名解答等の不正受験者が同年六月二三日第一時限二一〇名、同第二時限二七〇名、同第三時限三〇〇名、同月二四日第一時限二八〇名、同第二時限二八七名に達したこと、同校二年生中にも数十名の不正常受験者があつたこと、特に申請人多治比、同原田の担任する三年六組及び七組の学級では右両日正常に受験した者は一人もなく、同国光の担任する三年九組では正常に受験した者は同月二三日第一時限二六名同第二、第三時限、同月二四日第一時限各三名、同第二時限二名にすぎなかつたことが一応認められる。

さらに、疎乙第八ないし第一一号証に徴すると、右学力調査直前である同年六月二〇日(土曜)及び二二日(月曜)の両日は後記のごとき職員間での学力調査実施の論議のため殆んど正常な授業が行われず、生徒は自習を命ぜられて放置され、学力調査期日の数日前貼り出された生徒の壁新聞の中二枚には学力調査の悪い面を強調した記事が載せられており、同月二二日には一部生徒が学力調査反対のビラを各教室に貼つてまわり、申請人多治比の担任する三年七組ではクラス会を開いて学力調査を受けるか受けないかを討議し、受験の意思を表明した一女生徒はつらく当られたために廊下に出て泣くという有様であつたこと、ことに翌二三日の調査当日は混乱がはげしく、調査開始が二〇分間遅延する間に三年七組の男子生徒を中心とする二十数名が運動場に出て坐り込み、受験するよう説得に当つた三年の学年主任吉松康男に対し「吉松の馬鹿野郎、強制テストはいやだ、校長のひもつき帰れ、立身出世がしたいか」などと暴言を吐き、校長山本章一の説得をも聞き入れずに罵り返し、二時限目の開始とともにさらに女子を交えた五十余名の生徒が受験拒否に加わり、受験拒否の生徒のうちには受験の行われている教室へ来て、廊下の戸や入口のドアをはげしく叩き「みんな体育館へ出て行け」と怒号し、これを咎めた教諭西竹セツ子に対し「テストを強制している、出世したいか」など罵る者さえあり、受験している女生徒は恐ろしさの余り泣き出す有様であつたこと、次いで同月二四日学力調査開始前に校長から特に正常に調査を受けるよう訓辞がなされたにも拘わらず、前日よりさらに多数の生徒が受験を拒否し、前日同様受験するよう説得する教諭を罵倒し或いは学力調査賛成とみられる教諭を吊し上げ、教室における受験を妨害し、特に申請人原田の担任する三年六組では黒板に校長のテスト担任者を命ずる旨の職務命令書が貼られ、僅か数名の女生徒が在室して泣いており、受験拒否の男生徒が口々にわめきながら教室をのぞき込んだり階段を駈け上つたりしている有様であつたことが一応認められる。

以上の認定は一応の疎明によるものではあるが厚南中学校が学力調査期日の数日前からその可否をめぐつて紛糾しことに学力調査期日の右六月二三、二四日の両日は全く混乱、無秩序の状態となつたことを窺うに十分であり、疎甲第四六号証の三によれば、当時の同校長山本章一は、その責任を痛感して自殺するという痛ましい結果を生んだことが認められる。

(二) 昭和三六年度より実施されている全国中学校一斉学力調査は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第五四条第二項第二三条第一七号に基き文部大臣が地方公共団体の教育委員会に対しその担当区域内の教育に関する事務に関し必要な調査報告の提出を求めるという形でなされたが、教育界においてはこれに対し教育の国家統制につながるものとして強い反対の声の存することは周知のところである。そして、日教組及び山口県教組は昭和三六年以来強力な学力調査反対闘争を組織し、本件学力調査の実施された昭和三九年度においてもその違法性、政治的性格、弊害を指摘し学力調査の中止を求めるという形で反対闘争を行つており、申請人多治比、同原田、同国光も昭和三六年の第一回全国一斉学力調査以来一貫してこれが実施に反対し、本件学力調査に対しても山口県教組に所属する者として職員会議などで度々これに対する反対意見を表明していたことが疎甲第二三ないし第二五号証の同申請人等の供述書によつて明らかであるが、そのこと自体は言論・表現の自由の保障若しくは正当な組合活動の範囲内にあるかぎりなんら違法とみるべきでないことは勿論である。しかし、未だ義務教育課程にある生徒を教育する立場にある者としては教育行政面の意見の対立などから来る影響を生徒に波及させぬよう細心の配慮を加えるべきこともまた当然であるといわなければならない。

本件学力調査集団拒否行動は、調査期日前から既にその動きがみられたこと前記認定のとおりであるが、平素から教育者として当然の配慮が加えられてさえ居れば、このような形の拒否行動は或程度避け得られたのでないかと思われる。

(三) ところが、疎乙第七ないし第九号証、同第三〇号証、同第六五号証(山口県人事委員会に対する昭和三七年三月三一日付答弁書の分)によれば、申請人多治比、同原田、同国光は昭和三六年の全国一斉学力調査の実施以来これに反対しており、平素授業の際、学力調査について同申請人等は学力テストや文部省のあり方について、人間を差別するやり方だなどの批判的意見を述べていたことが一応認められ、疎乙第八、第九号証、同第一一、第一二号証、同第六〇号証によると、本件学力調査期日の直前である昭和三九年六月二〇日同校長山本章一が職員朝礼の際同校教職員に対し昭和三九年度全国学力調査の職務命令書を手交したところ、申請人原田、同国光(申請人多治比は休暇で欠勤)は他の山口県教職員組合員である教諭とともに授業に出ずに職場会を開いた上、六、七名の組合員とともに校長室に赴き申請人原田において同校長に対し職務命令を破いて混乱させることもできるぞなどの激越な言辞で右職務命令の撤回を長時間にわたつて迫り、そのため非組合員の担当する学級以外の同校各学級のその日の授業が行われなかつたこと、同月二二日同校生徒朝礼の際同校長が全校生徒を前に明二三、二四日の両日学力調査を実施することを告げたところ、申請人原田は後方から「職員会でまだきまつとらんぞ」と大声で叫びその後同申請人の主唱で職場会が開かれ、次いで学力調査実施をめぐる職員会議が行われることとなり、大部分の教諭は生徒に自習を命じて職員室に集つたが、席上申請人多治比、同国光、同原田は他の教諭とともに同校長に対し廊下を通る生徒に聞えるような大声で激しく執拗に右職務命令の撤回を要求し続け、右職員会議は何らの結論を得ないまゝ午後三時過頃まで続行され、そのため同日も終日授業が行われず、生徒は勝手に教室を出て廊下で騒ぎ教諭が代る代る教室に入つて自習するよう注意しても全く効果がなく職員室附近に集まるものもありまた「学力テスト反対、多治比ガンバレ」というビラをばらまいた者のあつたことが一応認められる。

そして、疎甲第四二、第四三号証、疎乙第七ないし第一四号証によれば、申請人多治比、同国光、同原田は本件学力調査の第一日目である同月二三日の職員朝礼において他の教諭とともに同校長に対し前記職務命令の内容についての詳細な説明を要求し、さらに申請人多治比は教師が職務命令どおり充分指導しても生徒が正常に学力調査を受けないという結果が出た場合、教師には責任がない趣旨の確認書を書いてもらいたい、そうでなければ学力調査の実施はできないといい申請人原田は前記職務命令書を「こんなものが受けとれるか」と投げつけるなど執拗に右職務命令の撤回を迫り、そのため同校では学力調査開始が予定時刻の九時から二〇分間遅延したこと、その間に申請人多治比の担当する三年七組の男子生徒を中心とする二〇名余りの同校生徒が右学力調査を拒否して運動場に出、その数は次第に増加していつたが、申請人多治比は右三年七組の教室に赴き、教室に残留している生徒の面前で同申請人に対する前記職務命令書を読み上げ、さらに残留している女生徒に対し「男子はいないのか、女子はテストを受けるのか、先生は応援に行こうか。」といい、申請人国光は三年九組の、申請人原田は三年六組のそれぞれ担任する教室の黒板に前記職務命令書を貼り付けた上学力調査の実施にかゝつたこと、同日第二時限以降申請人多治比は校長の命令により運動場に出て学力調査を拒否している生徒の説得に当つたが、少くとも学力調査を受けるよう積極的に生徒を説得した様子はみられず、胸の名札を取れなどといつて体育館に誘導した後カメラを持つて教室の廊下や校庭を動きまわつていたこと、学力調査第二日目である翌二四日職員朝礼の際申請人多治比は同久保等他の教諭と前日の二三日夜宇部市教育委員会指導主事、PTA会長等が学力調査を拒否した生徒の自宅を訪れて説得しているのはどういうことかと同校長を追究し、そのため予定時刻の午前九時になつても右学力調査の開始ができず、午前一〇時二〇分頃になりようやく開始されたところ、申請人多治比、同原田の担任する三年六組及び三年七組では殆んどの生徒が受験を拒否したので、同申請人等は校長との話合で前日同様正常に受験するよう説得することとなつたが、積極的に説得した形跡もなく、申請人多治比は生徒に向い自分の意思どおりやれなどといい、前日と同じくカメラを持つて各教室の受験状況などを見てまわつたことが一応認められる。

疎甲第五号証、同第二三ないし第二五号証のうち右認定に反するが如き部分は前掲各証拠および疎乙第五三、五四号証に照し措信しない。

これらの一応の認定事実によれば、少くとも申請人等が、自己の勤務する同校の混乱無秩序に対し、適切な誠意ある手段をとらず、生徒の集団拒否行動を助長する結果を招いたことは否定し難いところとみられ、特に前掲疎乙第八号証、同第一一号証、同第一三号証によれば、申請人多治比は本件学力調査実施後担任の三年七組の生徒に対し他の中学校の生徒から来た学力調査反対行動を賞讃する手紙を読んで聞かせ、同国光は右調査実施直後の昭和三九年六月二七日山口県教職員組合宇部支部の代議員会の席上、学力テスト反対闘争の成果について積極的な発言をしたことが窺われ、この事実をもあわせ考えると、申請人多治比、同原田、同国光は著しく教育的配慮を欠き教育活動としての範囲を逸脱して前示(一)認定のような生徒の受験拒否行動に強い影響を与えたものと推認することができる。以上の認定に反する疎甲第六ないし第八号証、同第二三ないし第二五号証中の記載はいずれも措信できない。

そうすると、同申請人等はいずれも教育公務員としての職務上の義務に違反し且つ義務を怠つたものとして地方公務員法第二八条に定める懲戒事由に該当するものと考えられ、右認定の同申請人等の各行為の態様に加え疎乙第三〇ないし第三二号証、同第六五号証(山口県人事委員会に対する昭和三七年三月三一日付答弁書の分)により申請人多治比、同国光が昭和三七年一月一六日被申請人から昭和三六年一〇月二六日の全国学力調査のテスト担当者でありながらその実施を拒否したことに関し戒告をうけ、同多治比が宇部市教育委員会から、昭和三四年一月二四日に昭和三三年九月一五日及び同年一〇月二八日の勤務評定反対闘争における職場離脱について昭和三九年五月六日に同年二月二七日定員斗争の統一行動に参加し職場を離脱したことについてそれぞれ訓告をうけていることが認められること(なお、疎乙第三三号証によれば、同多治比は昭和三六年一一月下旬ごろ朝会の際同校生徒に対し、京都市旭ケ丘中学における学力テスト拒否行動を賞讃したことが認められる。)などをあわせ考えると、申請人多治比を懲戒免職に、同国光を停職六月に、同原田は停職四月の各懲戒処分に付した被申請人の処分はにわかに著しく当を得ないものと断定することはできない。すなわち被申請人の右各懲戒処分は現在の疎明の段階では未だ裁量権の濫用があつたものとはいいがたく、一応適法であると考えられる。従つて、その取消を求める同申請人等の本案請求は理由がないとみえるというべきであるから、本件申立はその余の点について判断するまでもなく失当というべきである。

二  (申請人五十川関係)

(一) 疎甲第九六号証、疎乙第五七号証によれば、山口県大島郡橘町立安下庄中学校では本件学力調査の際宇部市立厚南中学校におけるがごとき混乱・無秩序の状態はみられなかつたが、二学年五学級生徒二四〇名中昭和三九年六月二三日第一時限八六名(うち二年一組二名、同年五組三三名)、同第二時限七二名(うち二年一組二名、同年五組二八名)、同第三時限二九名(うち二年一組二名、同年五組二二名)、同月二四日第一時限二六名(うち二年五組二四名)、同第二時限一七名(うち二年一組二名同年五組八名)の白紙解答者がでたことが認められる。

(二) ところで、疎甲第九六号証疎乙第一五ないし第二一号証によれば、申請人五十川はかねて全国中学校一斉学力調査に反対の意見を持ち常々勤務先の右安下庄中学校において職員会の席上などでその反対意見を表明しており、本件学力調査の数日前同中学校二年一組および二年五組の生徒に対し授業中に「学力テストは○×式で力の判定ができないし、人間を差別するものだ。」等学力調査に批判的な意見を説明したこと、このような平素の意見、言動から同申請人は右学力調査に際しテスト担当者から外され、従つて学力調査担当事務には直接に関係しなかつたことが一応認められる。

(三) しかして、疎乙第五八号証によれば、同申請人は同年八月二七日同中学校長から生徒に対し生徒の反対行動が正しくなかつたことの指導をするように求められたのに対し、「職務命令なら従うがその場合生徒には校長の命令によつて指導するという。」と答えたこと、また同日、同年九月末頃及び同年一〇月二三日同校長から同年第一学期中の教案、生活指導録の提出を求められたが、その提出を拒否したことが一応認められる。

(四) 右(二)及び(三)掲記の各疎明並びにこれによつて認定した事実特に疎乙第一六ないし第二一号証によると、同申請人のした生徒に対する学力調査反対の意見の紹介が前示(一)認定のような生徒の学力調査受験拒否行動に強い影響を及ぼしたことは否定し難いところであると認められ教育活動の限界についての十分な配慮を欠いたものとみられないではない。しかしながら本件学力調査実施の際同申請人が生徒に対し学力調査受験拒否を助長するような行動に出たことを認めるに足る疎明はない。(却つて疎乙第九六号証によると本件学力調査実施に当つては生徒の机の配置をそのために並べかえさすなどの措置を採つたことが窺われる。)さらにまた同申請人が学力調査以外の問題についていわゆる偏向教育をしたなどの疎明がなくこれまで他に懲戒処分を受けていないこと、などをあわせ考えると現段階の疎明の程度では同申請人の行為が、職務上の義務違反と認められるべきであるとしても未だ最重の懲戒処分である免職処分に付せられる程重大なものとはいいがたく、被申請人の同申請人に対する本件懲戒処分は裁量権を濫用したもので違法であると一応考えられる。

三  (申請人久保関係)

(一) 疎乙第二二ないし第二七号証、同第三四ないし第五〇号証の各一、二同第五一、五二号証によれば、申請人久保は昭和三八年度に担任した宇部市立厚南中学校三年六組の同年度の生徒指導要録を同校長の定めた期限である昭和三九年三月三〇日までに提出せずその後再三督促をうけ、昭和四〇年三月三日にいたりようやく提出したが、その内容は同学級の山口県立高等学校進学者一九名中一二名について同高校に送付した右要録の抄本と食い違いがあることが認められ、疎甲第三五号証中右認定に反する部分は前掲各証拠及び疎乙第五三、五四号証に照し措信しない。

(二) 疎乙第二六、二七号証によれば、同申請人は昭和三九年七月七日午後右厚南中学校々長代理である教頭山本一男に対し沖縄解放国民大行進に参加のため同日午後の年次有給休暇を申請したが、同教頭がこれを承認しなかつたのに許可がなくても問題でないとして右行進に参加し職場を離脱したこと、昭和四〇年一月一三日同校長木脇保に対し同月一四日から同月一七日まで開催された日本教職員組合教育研究集会に出席のため、特別休暇を申請し、同校長から年次有給休暇とすることを求められたのにこれを拒否し、「年次休暇願は出す必要はない。あくまで特別休暇で申請する交渉決裂だ。」といつて同校長の承認を得ないまま右集会に参加のため同月一四、一六の両日欠勤し、その後年次有給休暇の手続をとることを求められても、「校長室へ呼びつけたければ職務命令を出せ、そしたらばりさいてやる、気にくわなければばりさく」と激越な言辞を並び立ててこれに応じなかつたこと、同年二月三日その担当する授業があるのに事前に届出をすることなくして欠勤し佐世保市でおこなわれた原子力潜水艦入港反対デモに参加したことが一応認められる。右はいずれも教育公務員として、重大な規律違反というべきであり疎甲第三五号証中右認定に反する部分は前掲各証拠および疎乙第五三、五四号証に照し措信しない。

(三) 疎乙第八号証、同第二六号証、同第三二号証、同第六四号証によると、同申請人は昭和三九年五月六日宇部市教育委員会から同年二月二七日の定員闘争のための統一行動に所属の同学校長の承認を得ずして参加しみだりに職場を離れたことについて訓告をうけたほか、同年四月四日の宇部市教育委員会と宇部市教職員組合との団体交渉の席上かなりの酒気をおびて大声でどなりちらし、退場を命ぜられたこと、同年六月二〇日同校長山本章一が前記昭和三九年度学力調査実施のため職務命令書を手交したところ、同校長に対し職員の気持をふみにじつてもよいのか、ぶちなぐつてやりたい気持だなどと怒号するなど不穏当な言動をしたことが一応認められる。

(四) 以上の認定に反する同申請人の疎明は措信し難いところであつて、右(一)、(二)に一応の認定事実からすると、同申請人は職務上の義務に違反し、又は職務を怠つたもので法定の懲戒事由に該当するものと認められ、右(一)、(二)認定の同申請人の行為の態様及び(三)認定の処分歴、平素の行状から考えると、同申請人を懲戒免職に付した被申請人の本件懲戒処分は現在の疎明の段階ではいまだ裁量権の濫用があつたものとはいいがたく、一応適法なものと考えられる。従つて、その取消を求める同申請人の本案請求は理由がないとみえるというべきであるから、その本件申立はその余の点について判断するまでもなく失当というべきである。

第四  (執行停止をすべき緊急性)

疎甲第三三号証、同第八九、九〇号証によれば、申請人五十川は本件懲戒処分当時月額三万八、〇四〇円の給与と、妻美智子の月額三万六、七五〇円の給与、さらにこのほか一ケ月六、〇〇〇円の農業収入によつて母と二人の子供を扶養していたことが認められ、同申請人が職を失うと一家の収入は略半減し他からの救援援助がなければ生活水準の著しい低下は避けられないから、右は後日に回復補填の困難な損害というべく従つて同申請人には右懲戒処分の停止を求める緊急の必要があると認めるのが相当である。被申請人は給与請求権についてのみ執行を停止すればたりると主張するが、本件懲戒処分の効力を停止しないかぎり、同申請人の給与請求権の回復の余地はないから、被申請人主張のような一部停止はできないものと解すべきであり、同申請人が退職金を受領し得ること、また山口県教組の救援を受け得ることを以て執行停止の緊急の必要性を否定する理由となし得ないことはいうまでもない。

第五  (結び)

よつて申請人五十川の本件申立は理由があるものと認めるが、申請人多治比、同国光、同原田、同久保の本件申立はいずれも失当であるのでこれを却下することとし、申請費用の負担について行政事件訴訟法第七条民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 岡村旦 鈴木醇一 竹重誠夫)

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